スタッフインタビュー

Vol.7 德永美紗マネージャー

多彩なスタッフが所属する福岡地域戦略推進協議会(FDC)事務局メンバーを紹介する企画。
今回は、システム開発の経験をもち、地域課題をテクノロジーで解決するコミュニティ「Code for Fukuoka」代表並びに「Code for Kyushu」の副代表も務める德永美紗マネージャーのインタビューです。

―德永さんは2021年6月FDCに参画されました。大学院では数学を学ばれていたそうですね。
はい、中学生の頃から数学が好きで、数学の問題を夜通し解く「オールナイト数学」に喜んで参加するタイプでした。数学はきれいで楽しくて。大学で数学を専攻し、もっと深めたくて大学院へ。ただ、その頃は将来の仕事とまでは考えていなくて、専業主婦になりたいと思ったこともありました。卒業後は恩師の助手を務め、関東の大学へ行く話もあったのですが。結局、地元で開発の仕事をしたくて、2007年に地場のIT企業に就職しました。

―大学でITを学ばれていたのですか。
研究室で助手をしているときにプログラミングを本格的に学び、資格を取りました。新卒の同期より年上なので、会社では‟スーパー新人“のような扱いでした。システムエンジニアからプロジェクトマネージャになり、さまざまな会社のシステム開発を担当。在職中の2010年と2013年に子どもを生み、2020年まで勤めました。

―お子さんが生まれてから、仕事に変化がありましたか。
当時、IT系企業はどこも深夜まで働くのが当たり前でした。そんな中、子どもが小さいうちは短時間勤務にしてもらい、自分がどれだけ成果を出せるか、まわりとやっていけるか不安でした…。それで自分の強みを持っておかなければと思い、2人目を生んでから社外の勉強会に参加するように。月1回や週1回なら、家族の協力もあって、調整すれば行けたので。環境に恵まれていました。

―どんな勉強会に参加されたのでしょう。
データ分析のスキルを身につけたくて、ちょうど2013年に立ち上がったBODIK(ビッグデータ&オープンデータ研究会in九州)に参加しました。ビッグデータとオープンデータを活用して地域社会に貢献することを目指す研究会です。オープンデータを利用して市民が好きなものを作るシビックテックにも興味を持ちました。
同じ年にCode for Americaを筆頭に世界中にできてきていたCode forの福岡版「Code for Fukuoka」もできて、そちらの勉強会やいろいろなイベントにも入りました。そして2018年にCode for Fukuokaの代表を打診されて、2代目の代表に就任しました。

―改めて、オープンデータについて教えてください。
誰もが自由に複製、加工など2次利用できるデータラインセンスで公開されているデータのことです。例えば、ホームページ上のデータは公開されているため誰でも見ることができて誰でも使えると思いがちですが、福岡市のホームページなどでも下の方に著作権のコピーライトがあって、データを二次利用することはできないんです。また、オープンデータのライセンスはいくつか段階があって非営利活動なら使ってもいい、営利でもいい、二次加工OKなど、データ提供元によってライセンスの種類が明記されています。公開というより開放というほうがニュアンス的に近いと思います。

―德永さんはオープンデータのコンテストで受賞されたことがあるとか。
はい、総務省などが主催する「オープンデータコンテスト」で2015年にアイデア部門の優秀賞をいただきました。自分が子育てをしている中で、公園にどんな遊具があるか知りたいと思い、遊具から公園を検索できる「公園ナビ」のアイデアをプレゼンしました。公園のデータは公園の管理者が持っているはずなので、それをもとにできると考えたのです。

―「公園ナビ」、とてもいい企画ですね。
ありがとうございます。ただ、実際に福岡市からデータを出してもらうと、そのままでは使えない状態でした。例えば遊具のカテゴリーが滑り台やブランコなら分かるのですが、複合遊具などもあって。データが出てこないと分からないことで、さらに手を加える必要がある事例としていい学びになっています。

―福岡はオープンデータの動きが進んでいる方ですか。
進み度合を判断する明確な指標はないのですが、福岡にはISIT(公益財団法人九州先端技術研究所)があって、オープンデータ化推進の取り組みが福岡に限らず九州内自治体に対して行われているので、恵まれていると思います。
また、2018年にはCode for Kyushuが立ち上がり、九州を1つの島として一体感を持って連携していこうという動きがあります。地域の課題を捉えるとき、県境はあまり意味をなさないですから。
近年、特にコロナ禍でシビックテックが目立ちました。例えば、Code for Japanが東京都の委託で感染状況を分かりやすく紹介するサイトを作り、他の地域でも応用できるようにオープンソースにしています。Code for Fukuokaでは福岡市と福岡県版を作りました。

―ちょっとさかのぼりますが、2020年、それまで勤められていたIT企業を退職されたきっかけは何だったのでしょう。
下の子が小学生になり、働き方を変えたいと思ったからです。
会社は好きでしたが、やりたいことが山ほどありまして。例えば、もっとデータ分析を勉強したい、シビックテック活動にしっかり向き合いたいとか。ただ、実際は退職したタイミングでいろいろと声をかけてもらい、そちらも「今しかない」と思ってしまって、考えていたことに時間を取れないのですが、まあいいかなと思っています(笑)。

―退職して、どんな活動をされているのでしょう。
他地域でシビックテック活動をされている方から声をかけてもらって、自治体のデータ利活用やDXの人材育成の研修などでサブ講師を務めています。コロナでオンライン化が進み、関東の研修にも入っています。
フリーになってから、自ら提案して参画をしたのが、九州大学産学官民連携セミナー「地域政策デザインスクール」でのグラフィックレコーディング(会議や講演の内容を文字とイラストを使って記録する方法)でした。データで裏付けをしながら政策提言をするというスクールの内容に興味があり、実は講師側で少し関わったこともある、とても好きな講座です。昨年はオンラインで開催されると知り、講座の内容をグラレコすれば補助ツールになるのではないかと提案したところ、採用してもらうことができました。

―FDCに参画されたきっかけを教えてください。
FDCの方々とは「地域政策デザインスクール」や他のところでつながりがあり、素晴らしい組織だなと思っていました。私がやっているCode for Fukuokaの活動は自治体と近しく、シビックテックという市民目線の活動です。シビックテックはすごく大事ですが、世の中にはそれだけでは動かせないことがある。FDCは産学官民一体のシンク&ドゥタンクを標榜して、社会への実装力や実効性を備え、まさに社会を動かしています。私には欠けている部分を持っている組織なのでぜひ関わりたいと考えていたところ、ありがたいことに声をかけてもらい、2021年6月にマネージャーになりました。

―FDCではどんなことをされているのでしょうか。
参画してまだ2か月で、今は福岡のスタートアップのエコシステム構築に向けた支援をメインにしています。これからデータ関係やスマートシティなどにも関わっていく予定です。

―FDCのマネージャーに講師、グラレコ、Code for Fukuokaと多彩な活動ですね。
フリーになった今は自分の感覚で動くことができて、活動の幅が広がりました。ただ、時間があるから何でもやるというのではなく、自分に必要なことを見極めて動くように心がけています。

―今後のキャリアをどのように考えていますか。
まずはFDCで社会実装の力をつけて実行していきたいです。そして、本当の意味で一般市民でも誰もがデータをうまく利活用できるような社会になるといいなと思っています。例えば、先ほどの公園の話のように、どんな遊具があるか知りたいと思ったらデータを探すという発想を持てば、その先に進めます。
私は自分や子どもの生活、人中心の目線で、シビックテック活動に関わっていきたいと思っています。どちらも大切ですよね。
今の社会は大多数をベースに一律にできているけれど、データをもとにしたデジタル活用によって、障害者や外国人などにも個別対応できて、誰にでも優しい社会に近づけるのではないでしょうか。

2021826日取材
所属・肩書きは当時のものです

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マネージャー
德永美紗
福岡市出身。九州大学数理学府修了後、民間企業にて10年以上システム開発に従事した後、2020年7月に独立し、自治体や企業向けのDX推進ワークショップやグラフィックレコーダーとして活動している。2018年よりCode for Fukuokaという地域課題をテクノロジーで解決するコミュニティの代表として、オープンデータやデータ利活用の推進活動をしている。同じく2018年よりCode for Kyushuとして九州内のデータ利活用連携にも関わっている。趣味は手芸。